目を覚ますと、つけっぱなしのテレビにカラフルな画像が映し出されていた。チャンネルを回すと、少しずつ配置は違うものの、似たような画面で停止している。時計には午前3時34分と表示されている。今日は月曜日で、すべての放送が休止中だ。今日が月曜日だとすれば昨日は何曜日だったのだろう。
ここはどこだろう。数秒考えて、昨晩はホテルに泊まったのだったと思い出す。ホテルで目を覚ますと、何泊か泊まっているときでも、自分が今どこにいるのかわからなくなるときがある。
外はまだ暗闇に包まれている。東京駅からほど近い場所だというのに、歩いている人はおろか動いているものさえ見当たらなかった。近くのレンタカー店まで歩き、コンパクトカーを借りる。店員に先導され、車体にキズがないか確認する。そこには水滴が残っていて、「昨日はすごい雨でしたね」と店員が言う。ぼくは昨晩遅くに東京に帰ってきたばかりだから、雨が降ったことを知らなかった。
エンジンをかけて、音楽を再生し、車を走らせる。道路はほとんど貸切状態だ。「この先、走行するレーンにご注意ください」とナビが言う。他に走っている車がいないと、渋滞とは無縁だけれど、自分が今走っているのは正しいレーンなのか、心許なくなる。制作担当の古閑詩織さんと、映像担当の召田実子さん、それに藤田君をピックアップするころには、時刻は4時半になろうとしていた。去年の春から、この4人で東京の路上を歩き続けてきた。それも今日で終わりを迎える。
ナビは大井埠頭から東京港臨海トンネルを通るルートを案内しようとする。それを頑なに無視して、首都高速道路の高架下、海岸通りをひた走る。しばらく「Uターンを」と繰り返していたナビも、芝浦埠頭にたどり着くと、ぼくが走りたかったルートに切り替える。そのルートというのはレインボーブリッジだ。
「こんな時間に、こんなファミリーカーで走ってると、『何運んでるんだろう?』って、逆にちょっと怖くなるよね」。藤田君はそう言って笑う。こんな早朝に芝浦埠頭を行き交うのは大型トラックと大型トレーラーばかりだ。ループをぐるりと走るにつれて高度が上がり、東京湾岸の風景が一望できる。「このあたりの風景って、たまらなく好きなんだよな。ほんとうに未来感ない?」。車窓の景色を眺めながら藤田君がつぶやく。
レインボーブリッジを超えて、物流倉庫の巨大な箱が建ち並ぶなかを進んでゆく。しばらく走るとトンネルが見えてくる。その入り口に、は原付、自転車を含む軽車両、それに歩行者は通行止と標識が出ている。ここから先は、いくら路上を歩いてもたどり着けない場所だ。このトンネルをくぐった先に、東京タワーの展望台から見えた埋立地がある。中央防波堤と呼ばれるこの場所が、東京湾に浮かぶ埋立地の中でも一番外側に位置する。
ここが東京だということを忘れてしまいそうなほど、だだっ広い風景が広がっている。ここにはゴミの埋立処分場とコンテナターミナルがあるだけで、建物もほとんど見当たらない。膨大な量のゴミが埋め立てられてきたのか、丘のような場所もある。「監視カメラ作動中」と書かれた看板が出ている。片側一車線の道路は路肩が狭く、一時停止できそうな場所が見当たらなかった。あてもなく走り回っているうちに、ロータリーのような場所にたどり着く。トラックとトレーラーが1台ずつ停まっている。
駐車禁止の標識が出ているけれど、「駐停車禁止」ではないということは、短い時間の停車なら許されるのだろう。車を停めてドアを開けると、強い浜風が吹き込んできた。
時刻は5時半、空が少し明るくなってきた。海は見えないけれど、潮の匂いがする。吹きつける強い風に、背中が丸くなる。まだ明け方だからか、車が行き交う気配はなく、風景は静まり返っている。ここは一体どこなんだろう。
「自分でも驚いてるんだけど、ここには一度もきたことがなかったのに、『CITY』で描いた風景が広がってる」。遠くのコンテナターミナルを眺めながら、藤田君がつぶやく。
車を停めて5分が経とうとしたところで、遠くから黄色いワゴン車が走ってくるのが見えた。ぼくたちのすぐ近くでワゴン車は止まり、警備員が降りてくる。
「お車で来られてます?」。警備員がにこやかに言う。はい、この車でと答える。車がなければ、この場所にくることはできなかった。「こちらは駐車禁止の場所になってますので、5分、10分程度なら問題ないんですけど、お早めにご移動をお願いします」
エンジンをかけ、再び車を走らせる。中央防波堤はふたつの埋立地から構成されており、南側に位置する中央防波堤外側埋立地と、北側に位置する中央防波堤内側埋立地からなる。中防大橋を渡り、外側埋立地から内側埋立地に引き返す。ここには建物がたくさん並んでいる。しばらく走っていると浜辺に出た。貨物船が何隻か浮かんでいる。これから出港するのか、フェリーも停泊している。
空はもう白んできている。そろそろ日の出が近いはずだ。目的地に中央防波堤を選んだのは、東京湾に浮かぶ朝日と、朝日に照らされる東京の街並みを眺めたかったからだ。ここは一番外側にある埋立地だから、朝日を遮るものは何もなく、振り返ると海を挟んだ対岸に東京の街並みが広がっている。フジテレビも、レインボーブリッジも、東京タワーも、スカイツリーも見える。たまにゆりかもめに乗ると、これに近い風景を目にすることができる。そのたびに、鏡を覗き込んだような気持ちになって、食い入るように見つめてしまう。
車を路肩に停めて、海を眺める。1分と経たないうちに、黄色いワゴン車が近づいてくる様子がバックミラー越しに見えた。海を眺めて感傷にひたるヒマもなく、追い立てられるように発進する。こんなだだっ広い場所だと、身を隠せるところもなく、行動が筒抜けになっている。
気づけば朝日が輝き始めている。ナビを見ると、対岸にあるフェリーターミナルに「P」と表示されている。そこならきっと、駐車してじっくり海を眺められるはずだ。地図を頼りに車を走らせ、ターミナルの敷地に入ると、川のように水が流れている。ぎょっとして一時停止する。これは何が流れているのだろう。躊躇しながら川を越える。「釣り、撮影等のための港湾施設内への立ち入りを禁止します」と書かれた看板が見える。朝日を眺めるための立ち入りも禁止されているのだろうか。案内表示に従ってターミナルビルの向こう側にまわると、正面から巨大なトレーラーが2台、こちらに向かって走ってくる。一方通行の標識はなかったはずなのに、道の左側と右側からこちらに向かってくる。自動車は道路の左側を走るはずだけれども、左に進めば正面衝突だ。2台のトレーラーのあいだをすり抜け、どうにか事なきを得る。動揺のあまり、駐車場所を探せないままぐるりと一周して、そのまま敷地の外に出る。
「今、完全に追い出されましたよね?」藤田君は後部座席で笑っている。「今のはちょっと、いじめっぽかったな。橋本さんが挟み撃ちに遭ってたよね。ほとんどフィクションみたいだった。でも、ある意味で東京感もあるし、かなり良かったな」
日の出から30分近く経ち、すでに太陽は高い位置に上がっている。「久々に外で夜明けを体験しましたけど、あっという間にただの昼間になるんですね」と藤田君が言う。中央防波堤にもフェリーターミナルにも駐車できなかったけれど、お台場海浜公園まで行けば海を眺められるだろう。
「およそ600メートル先、海浜公園入口を右方向です」。ナビに従ってウィンカーを出し、右に曲がると、首都高速道路のランプが遠くに見える。「海浜公園入口」より一つ手前、「レインボー入口」を右折してしまったようだ。どうにか引き返せないかとルートを探したものの、左折できる交差点もなければUターンできる場所もなく、高速道路の料金所が近づいてくる。「カードが挿入されていません。エラー、ゼロ、イチ」と、ETC車載器が警告音を発する。なす術がなく料金所に吸い込まれ、1320円支払ってゲートをくぐる。海を眺めることはできないまま、お台場から弾き出されてしまった。レインボーブリッジを渡ると、東京タワーが近くに見える。
「東京に住んでても、ずっと観光気分なんだよな」。カメラを回しながら、実子さんがつぶやく。「何回東京タワーを見ても感動するし、いつまで経っても『人がいっぱいいる』って思っちゃう」
「え、そうなんだ?」と、藤田君が不思議そうに言う。「俺は結局、東京が大好きだけどね。小さい頃からずっと、いつか東京に出るってイメージがあったんだけど、僕にとって地獄って伊達なんだよね。伊達にいるとさ、どこに行っても死に溢れてるから、自分の中でフィクションを立ち上げるしかなかったんだよね。だから、18年経った今でも伊達を出れてよかったと思ってるし、東京が好き。だって、東京にいると、どこで誰が死んでもわからないじゃん。それに、東京って東京のこと信じなくていいじゃん。それも好きなんだよね。いろんな人に死なれると、裏切られた気持ちになるから。死だけじゃなくて、町の中にあるいろんな差別を含めて、すごくトラウマなんだよね」
藤田君は18歳の春、もう伊達には帰らないという決意で上京した。そうして演劇作家となり、今では作品を携えていろんな土地を訪ねている。伊達を離れるにしても、どうして向かう先は東京だったのだろう。
「イタリアに行ったときとかに、『フィレンツェ、住んでみたいな』とか、『住むならフィレンツェだな』とか、僕ってすぐにそういうことを言っちゃうじゃないですか。それはすごく表層的なところで言ってるんだけど、ほんとは住みたいと思ってないんです。だって、あの街に住んで、あの街で出会ったジャコモかアンドレアの死を経験したら、もう生きていけないと思う。どこかの街に住むと、そういう逃れられないことを経験するんだろうなってトラウマがあるから、東京以外の街には住めないんです。紙みたいな焼き鳥食って、知らん銘柄の日本酒飲んで寝る――その名前のない感じが好きなんだと思います」
藤田君の言葉を聞いていると、何年か前の記憶がよみがえってくる。あれは『まえのひ』という作品で全国を巡っていたときのこと。いわき、松本、京都、大阪、熊本、沖縄と巡り、最後は新宿・歌舞伎町で公演が行われることになっていた。その公演の直前に、青柳いづみさんと藤田君と、3人で回転寿司を食べに出かけた。お昼時を過ぎていたせいか、開店しているネタはかぴかぴになっていたけれど、そこで寿司を食べたことは楽しかった思い出として残っている。
「ああ、あの回転寿司、めっちゃおぼえてる」と藤田君。「乾き過ぎて、ネタがこう、瓦みたいに反ってましたよね。そんなかっぴかぴの寿司を食べても、うまいって思う瞬間があるんですよね」
芝浦パーキングエリアの屋内には自動販売機が並んでいる。ジャズが流れていて、ドライバーの人たちが自動販売機で買ったホットスナックで朝食をとっている。目を覚まして3時間、今日はまだ何も口にしていなくて、お腹が減っている。Googleマップを開き、営業中の寿司屋を探す。こんな時間に営業している回転寿司屋は見当たらず、出てくるのは築地の寿司屋だ。そんな本格的な寿司が食べたいわけではなく、どうしようかと思い悩んでいるうちに、数年前から「ローソン」でにぎり寿司が販売されていることを思い出す。検索すると、北品川一丁目店には駐車場があるようだったので、「ローソン」(北品川一丁目店)を最後の目的地に設定する。
「ここ、歩きましたね」。芝公園インターを出て第一京浜を走り、札の辻の交差点に差し掛かったところで藤田君が言う。ここは去年の春、最初に歩いた場所だ。「あのときとは逆に向かってるってことですよね。この『札の辻』って、絶対に『さつのつじ』って読んじゃうんだよな。なぜなら、札幌の『札』だから。その読み方が染みついちゃってるから、絶対『さつ』って読んじゃうんだよ」
「ローソン」(北品川一丁目店)に車を停めて、店内を探す。棚には寿司は並んでおらず、せめてそれに近いものをと、納豆巻きを買う。実子さんはねぎとろ巻きを、古閑さんはいくら醤油漬けのおにぎりを。普段はシーチキンかしおむすびしか食べない藤田君も、焼さけハラミとしらすおにぎりを買っている。本当なら今頃、東京湾から対岸を見渡していたはずなのに、ビルで視界が塞がれたところに車を停めて、おにぎりを頬張っている。目の前にも小さなコインパーキングがある。しばらくそこに佇んでいるうちに、あらかじめて決めていた場所を訪ねて終わるより、こうして予定調和を逃れることができてよかったんじゃないかという気もする。
「ちょっとそれ、自分に言い聞かせてませんか?」そう笑いながらも、「たしかに、でも、最後に品川に戻って終われるのはよかった気がする」と藤田君も同意してくれる。
「スカイツリーに行ったとき、橋本さんも言ってたけど、あの高さから俯瞰しているとコントロールできちゃいそうになるじゃないですか。もしも現実にコントロールしようとしたら、それは独裁者になっちゃうけど、今日は不可抗力が働いている感じがして面白かったですね。それで言うと、作品を作り続けてると、コントロールしそうになっちゃうところがあって。稽古場で過ごしてるときとかに、たとえば『そこ、しゃべんな』とか、言えちゃうじゃん。それが作品のためだってことでコントロールしようとしちゃうけど、そんなふうに自分の力を発揮しようとするなんて、ほんとうは駄目だと思うんです。だから、ときどきワークショップの仕事があると、ホッとするんですよね。ワークショップに参加してくれるのは、僕がキャスティングしたわけじゃない人たちで、そういう人たちと時間をともにしていると、『普通はこうだよな』ってところに立ち返れるんです」
時刻は7時過ぎ、こんな時間からもう通勤客が行き交っている。ご近所さんなのだろうか、すれ違った人同士が会釈している。すぐ近くに、東八ツ山公園という大きな公園がある。この一帯は品川宿のはずれに位置する丘で、かつて「八ツ山」と呼ばれていた。江戸時代に埋立工事が行われたときには、この丘の土砂を切り崩したのだという。何百年も前から、ここには誰かが暮らしていたのだろうか。
何十年、何百年と続く歴史ある街並みがある一方で、人工的に造成されたニュータウンがある。お台場もそのひとつと言える。路上を歩いていると、長い年月をかけて形成された街並みに惹かれがちだ。だけどぼくは、お台場のような土地のことも、「人工的なニュータウンだ」と切り捨てることができない。人工的なものを否定するのであれば、たとえば、劇場という空間で目にしているものも、否定しなければならなくなってしまう。劇場に立ち上げられるのは、演劇作家が人工的につくりあげた風景だ。この企画の最後に、まるで人工的な場所を訪れておきたい――そう思って、目的地を中央防波堤に選んだ。でも、そこには劇場と大きく異なる点があることを、見落としてしまっていた。劇場には、客席がある。そして、劇が始まると客席は暗闇に包まれ、大勢の観客の中に身を紛らすことができる。ぼくが普段、横丁の小さな酒場に入りたくなるのも、単に風情を味わっているのではなく、雑踏の中に身を紛らすのが落ち着くからだと、今日はっきりと気がついた。
「なんでこの世界がこんなふうに続いてきたんだろうって考えると、めちゃくちゃ不思議ですよね」。藤田君が言う。「コドモって、生まれることを選んで生まれてきてないじゃないですか。大人であっても、それはつまるところ、全員コドモだちだと思うんです。皆、生まれたいと思って生まれてきた人たちじゃないと思うんですよね。だから、ほとんどのことは自分のせいじゃないはずなのに、『自分が選んだことだから』とか、『自分が決めたことだから』とかって口癖のように皆言うけど、そんなことってほとんどないと思うんです」
この日は3月22日で、緊急事態宣言が“解除”された日だった。あれは一体どのタイミングで“解除”されたのだろう。日付が変わった瞬間だろうか。それとも夜が明けたときだったのだろうか。その前と後とで、世界は何一つ変わらなかった。
それからちょうど1ヶ月が経った4月22日、僕は都営新宿線に揺られていた。その日はとても久しぶりにライブに出かけることになっていた。どうやら人身事故があったらしく、電車のダイヤは乱れていた。遅れてやってきた地下鉄は、駅に到着するたび、運転間隔の調整のためにしばらく停車したままでいた。
「なんでわざわざ人が多い駅で飛び込むんだろ」。高校生の女子が気だるそうに言う。「死ぬ前にさ、注目を浴びて人気者になりたかったんじゃん」と、隣に立つ男子が返す。その言葉を耳にして振り返り、ふたりの姿をじっと見る。ふたりは気まずそうに視線を下げた。マスクをしているから、表情は見えないけれど、その口元は笑っているような気がした。
「すべての電車が笹塚止まりとなります」と車内アナウンスが流れる。そういえば今から観に行く人のスタジオがあるのも笹塚だったなと思い出す。
発券したチケットに表示された座席番号は、最前列のものだった。渋谷のライブハウスの最前列で、食い入るように舞台を見つめていると、その歌の照準は自分にぴったり合わせられているかのように錯覚する。もしも最前列ではなく、自分の席が一番後ろだったとしても、そう感じていただろう。上京してまもないころ、同郷の友人に連れられて何度かライブハウスに足を運んだことがあったけれど、どこか居心地の悪さを感じていた。同じリズムで体を揺らし、拳を突き上げ、一体感が生み出されていく空間に、どうしても壁を感じてしまっていた。そんなとき、ふいに撃ち抜かれたのが、いま目の前に佇んでいる人の歌だった。
終演後、余韻に引きずられるように渋谷を歩いていると、いたるところで酒を飲んでいる集団を見かけた。数日前から、緊急事態宣言という言葉が再び囁かれ始めるのを気にして、「路上飲酒」が問題視され始めた。この一年――いやこの17年ずっと、路上をふらつきながら酒を飲んできたひとりとして、反射的に反感をおぼえた。でも、こうして路上飲酒の現場に出くわすと、これは自分にとって馴染みのある路上飲酒ではないと思ってしまう。さっきライブハウスで耳にした歌を反芻する。
土曜日の夜の実感がわかん日々に 俺は成り果てた
ありふれた商店街のシャッター 次々と閉まっていった
誰かが散らしたゲボだらけ そんな地面に写る夕焼け
人影それはまさしく我
一人で気取る路上の酒
いいわけ、意志、期待と予感
ただならん気配 感じる不安
突発的に野良猫に ケンカを売りたくなる
瞬間のたまらんほどのテンパリ感
わからん 貴様とは気が合わん
どっかの誰かが吐かした反感
思念の強さで撃つ弾丸
(「六本の狂ったハガネの振動」作詞作曲:向井秀徳)
自分にとって路上飲酒は、「一人で気取る路上の酒」であって、こんなふうに集団で酒を飲むことではない――と、他の誰かと自分は違うのだと考えるのは、孤独主義者のくだらない考えなのだろう。それは誰かに指摘されるまでもなく、わかっている。それでも、「他の誰かと一緒くたにしてくれるな」と、心の奥底で思ってしまう。自分が感じていることなんて、せいぜい数行に要約できる程度のことなのだろう。それでもなお、わかってたまるかと思ってしまう。わかってたまるか。
路上で、集団で酒を飲んでいるひとりひとりの中にだって、そんな感情がどこかにあるのだろう。その気持ちに、僕は永遠に触れることはできないだろう。わかり合えないことと、それを否定することは、まったく別次元の話だ。
コンビニでアサヒスーパードライを買って、駅に向けて坂をくだる。ガールズバーの店員がふたり、小さなボードを手に客引きをしている。マスクはしていなかった。あのふたりは今、どんな気持ちで街角に立っているのだろう。想像を巡らせるだけだと、安直な声をあててしまいそうで、想像するのはやめにする。
どんなに孤独主義者を気取ったところで、自分は人里離れた場所で生きていくことには耐えられないだろう。自分とはまったく異なる感覚で、今この時代を生きている人がいる。そんな人波を泳ぎ続けていると、ほんの一瞬だけ、誰かと通じ合えたような心地になる瞬間がある。その一瞬を求めて、都市を、東京を歩き続けてきた。
もしも幽霊が存在するのだとすれば、どんなに喜ばしいだろう。今から100年後、ぼくは絶対にこの世に存在しないだろう。誰かに声をかけたり、言葉を交わしたりすることができなくなったとしても、その先の風景を、ぼくはずっと見ていたい。肉体が滅んだとしても、この目だけは残り続けて欲しい。たとえクソみたいな世界になっていたとしても、ゲボだらけの風景だったとしても、それを見続けることができたら、どんなに幸せなことだろう。そんなことが叶わないのはわかっているから、生きている限り路上を歩き続ける。